限定とコラボに弱い人の日記

人生振返り用の日記・メモ兼用ブログ。限定、コラボ品が好きな典型的な日本人。マンガとアニメなどいろいろ…キャラ名を間違ったり自分表現すること多々ありますので予めご了承くださいm(_ _)m 最近は映画を映画館で見ることがマイブーム。

父が肺がんで他界した(その3)

備忘録も兼ねて亡くなってからのお話を記憶をたどりながら。

父親が亡くなったのが29日、通夜が1日、葬式が2日というスケジュールで私が実家へ帰省したのが31日。29日から弟と姉があちこち奔走してくれたようで役所での死亡届の提出や火葬場の準備、葬儀場の手配など私が帰ることには一通り完了していました。通常は翌日か中一日で通夜を行うことが多いようですが、今回は私がすぐ帰れなかったし(飛行機とれなかった)、友引だったので1日になったようでした。少し日にちは空きましたが、家に帰りたがっていたのでご遺体を家に安置することができたので父も喜んでいるだろうと話をしていました。安置している間も友人達が顔を見せに来てくれたりしたようで、なんやかしいって直ぐに通夜しなくてよかったなという話になりました。

通夜・葬儀ともに家族葬で行いました。最近、こういった家族葬が主流になっているようですが、あの人に連絡したらあの人にも連絡しないといけない等と色々人間関係が煩わしいらしく来るか来ないかわからない人の準備も無駄になってしまうという理由もあるのかなと思いました。家族葬であれば来る人に人数の調整もできるし、人数が分かっていれば準備も無駄にならないからね。

通夜が終わって寝ずの番というのを弟と行いました。恥ずかしながら初めて聞いたのですが、亡くなった死者が迷わないために線香を絶やしてはいけなくてその寝ずの番ということらしいのですが、これも時代なのか丸一日交換しなくてもよい線香というのがありまして(笑)とはいえ最後の番を弟と過ごしました。昔は同じ部屋で寝ていたので、20年ぶりぐらいですが、いろいろ話もできたのでいい機会だったと思います。それはそうと斎場はこういった寝ずの番をするからなのかずっと電気がついてるんですよ。遺体を安置して寝ずの番をしているとはいえ誰でも出入りできるのは少し不用心だなーと思いました。

翌日、葬儀が終わってから火葬場へ移動して骨を拾って斎場に戻って解散という流れでした。火葬場で小一時間待ちましたが、小学生からの同級生っぽい人がいたのですごい偶然だなーと思いました。骨を骨壺に入れるのですが骨って全部骨壺に入れるわけではないんですね、知りませんでした。ちなみに後半あまり歩けなかった父はすごい立派な大腿骨が燃え残っていました(あとインプラントも)。

 

お葬式が終わるまではこんな流れですかね。私は手続き系は何もしていないので、通夜と葬式の挨拶ぐらいしかしていませんが、父と母と同じ地域に住んでいる兄弟がいて本当に良かったと思いました。例えば両親と同じ地域に住んでいなければいろいろかなり大変だと思います。父、母どちらか残っている状態であればまだ片方が動けるし状況も把握できていると思いますが、父母がもうどちらか一人で亡くなった場合は連絡系統や情報共有はしておいたほうが吉です。言ってしまえば遺書やエンディングノートを書いてもらうのがベストです。昔に比べてお坊さんにいくら渡すとか親族や身内の香典はいくらぐらいなどお金系は明確になっているのでやりやすくなっているとはいえ人って死んでからもやることはたくさんあります。死亡届出したり年金止めたりと役所でやることがおおくてこの辺は行政のほうでもっと簡素化できるように頑張ってほしいですね。それにしても身内でも香典は払うなんて意外でしたが、お金に汚い母のことを考えればまあ納得です。

 

喪に服すというのはきちんと意味があると100日経過した今ならわかります(母親は今もややかかってますが)。亡くなったばかりの頃は人生で何度も経験することではないので、通常な判断ができなくなります、本当に。実際に私も母も兄弟もそうだと思います。感情的になることも多いので、思い出の品や資産の整理などは気持ちが落ち着いたころ(100日ぐらい)から始めるといいと思います。亡くなった月が2月でなければそんなすぐすぐしないといけないこともありませんので、少しゆっくりしたほうがいいと思います、本当に。私たちのように葬式が終わって1週間以内に釣り具の形見分けなんてしないほうがいいですよ、本当に落ち着いてから話し合いをすればいいんです。

今度は葬式後のお話を記載していこうと思います。