父親が肺がんになった話の振り返り。
肺がんになる前にあったのは2022年末年始。この頃は普通に歩いていたり動けていたしご飯も食べていた。
肺がんになったと連絡をもらったのが7月上旬ごろ。もともと病院嫌いだったし定期健診も全く行っていなかったため、今頃病院にかかられてもといっていいぐらい手遅れ状態だったらしい。7月末に家族全員で病院へ説明を受けに行った時にはガリガリにやせていて、自分では靴も履けずに立ち上がるにも何かにつかまらないと立ち上がれないぐらい弱っていた(それでも一度立つと歩けていた)。歩くと疲れるらしく歩かなくなり足の筋力が弱くなって歩けなくなるというのがデスループらしい。骨折から亡くなるパターンもこれと同じ意味らしい。骨折→歩けなくなる→動かなくなる→筋力が落ちる→寝たきり。こんな流れらしい。
父親は入院してからもリハビリはまじめにやらずによくサボっていたらしい。なので、筋力は衰える一方で入院前より筋力落ちてました。先も長くないと感じていたかもしれないので、あまりしんどいことやりたくなかったのかも。
病院診察したのが6月ごろ、肺がんと分かったのが7月ごろ、治療方針を決めたのが7月末ごろ、入院したのが8月上旬ごろ、転院したのが9月末ごろ、亡くなったのが10月末ごろという感じでした。
初診断で肺がんステージⅣ。脳への転移はみられないが骨やリンパへ転移していて体力的に手術は不可。抗がん剤治療は1クールしてみたが効果が見られず緩和ケアは早々に移行した。
ローカルルールかもしれませんが、病院に入院できる期間は約2か月らしくずっとは入院できないらしい(この辺があまり理解できなかった)。あと診断ついてから治療方針を決めるまで1か月間放置というのも流れとして理解できませんでした。
正直、病院や先生の当たり外れはあるんだな~と感じました。
母的に入院する前の7月1か月間が介護になり結構しんどかったらしい。10月末退院予定だったので、在宅介護が本格的に始まる前でよかったと思う。
次は亡くなってからの話をまた落ち着いたら記載します。